Tulpa Designers
超心理学・タルパ専門考察

タルパの倫理上の問題点と注意事項

タルパは作り方や視覚化などに関する可及的な方法論ばかり注目を集め、基礎となる倫理上の問題点や注意事項まで言及する方は少数のようです。もっとも、空想の産物を具現化できると聞いて、それで真っ先に思いつくものがどんなものであるかは相場は決まっています。人間ですから致し方ありません。しかし、だからと言って現状を放置する訳にもいきません。方法論も結構ですが、倫理や道徳に関する一般論的な考え方の普及も必要に思われます。本稿では、かなり辛辣な表現や物言いとなる内容にまで言及しますが、人工精霊など他の思念体も含めたこの種の考察や論争は避けがたいものと言えるでしょう。事実、倫理上の問題を巡りタルパー間の争いは絶えず、界隈と呼ばれている場所は混乱を招き続けております。タルパ文化発展の為には避けては通れない道と言えるでしょう。

終わりの見えない「惚気」論争

この世に完璧な人間なんて誰一人としていやしません。どんな偉人でも何かしらの短所や弱点、コンプレックスを持っているものです。もしもこれらを長所や強みに変える事ができたとしたら…価値観は激変して良き方向に運命は導かれ、終生充実感に満ち溢れた人生を送る事が叶いますでしょう。あらゆる開運メソッドの中で、そのための実現方法として唯一に近いとも言えるのが人工精霊やタルパ、イマジナリーフレンド等の思念体です。残念ながらその本来の目的とかけ離れたやり方で思念体を作り出し我欲を追求している方が相当数いらっしゃいます。いわゆる「惚気」と呼ばれるものです。もちろん、内心の自由は各々保障された権利であり、現実世界に実害がない以上は個人の自由です。しかし、現実と空想の境目が曖昧な状態で、その是非について議論する問題が絶えません。

タルパに「愛」を持つのは禁忌な行いか?

惚気とは、配偶者や恋人と人目を憚らず仲睦まじい様子を映し出したものを意味します。時に眉をひそめたく内容に及ぶ事もあり、TPOを巡る激しい議論が巻き起こるのは珍しくありません。賛否何れにせよ議論が進むに連れ、上述の通り現実と空想の区別が次第に付かなくなり、多くは感情的な抑制の利かない混乱状態へと陥ります。まず、当サイトの考えとしまして、惚気目的で思念体を作り出す事には基本的に賛成しませんが、だからと言って、人間の内心の自由を奪ったり侵害する行為にも反対です。所詮、人間のやる事ですから、意図しなくとも完成したタルパに対して様々な情念を持つのは至って普通の話だと思います。思念体を暴走させた時以上に機微な問題となります。特にタルパは不可逆的なメソッドであり、途中からそうなってしまったものは致し方ないと考えます。

まずは各人が冷静になる必要がある

もちろん、人にはそれぞれに事情があるのは承知しております。何らか特別な理由や複雑な背景から、最初から惚気目的でタルパを実践している方もいると思います。これを闇雲に誹謗する意図はありません。当サイトは、あくまでも原則論として惚気に反対しております。人間が人間であるが故に持つものや、自然な心の流れを全面否定するような思考態度はそれこそ愚かです。現実と空想の境目はここにあると思います。見方によってはどっち付かずの態度とも思え、当サイトの姿勢に苛立たしさを覚えるかも知れません。しかし、賛成派にしろ反対派にしろ、先鋭化と拡大解釈により本質を見失い、精神世界で遭難している人がいます。冷静に考えて見ると、コーヒーや紅茶に砂糖を入れるか否かの論争と同じ程度の問題で、何ら建設的な妥協点を見出す事できない非生産的な行いです。

極端化する一部のタルパーの存在

人工精霊など他の思念体の場合もそうですが、方法論や考察のみならず、タルパとの何気ない日常生活を書き綴るブログやSNSによる情報発信は、今様な高度情報化社会における表現活動の主形態だと思います。集中力と合わせて強い感性のあり方が求められるタルパーには絵心の才能ある者も多く、日夜、CGを駆使して思いのままタルパとの楽しい日常を描くなど自由な表現活動が行われています。しかし、惚気と言う本来の意味を拡大解釈して、これらの表現活動にまで異を唱え、時にネットストーカーと化し誹謗中傷に勤しむ者がおります。また一部では、信心深いタルパーの不安を煽る自称霊能者によるタルパ誘拐・脅迫なる行為もあるようです。これら悪意ある者もタルパーのようで、もはや常識は通じる事なく病的な文体等から、一般人による冷やかしや悪戯ではないようです。

当事者達の問題の背景

確かに、架空世界の話と言えども、現実世界で言うところの公然猥褻罪や猥褻物陳列罪に相当する行為を、公衆も同然のネット空間で公然と発信するのはどうかと思う。しかし、タルパは人生を有意義なものへ変えて、現実生活を楽しく過ごせるよう活用するのが目的です。楽しい様子を伝えるのが当たり前で、それすらにも反感を覚えるのは筋違いと言えるでしょう。やっている本人が楽しくなければ説得力がありません。受け手に「タルパはこんなにも楽しいもの」「タルパで人生は薔薇色に変わる」と感じさせなければ、ネットでの配信に意味はありません。楽しくやっているタルパーが単純に妬ましいのか、作ったタルパを唯一神に仕立て上げ排他的思考に陥っているのか、自身の心の問題を他人に投影する事で相手を支配したいのか定かではありませんが、そんな背景が疑われます。

非実在性であるが故の問題

惚気論争がある一方で、歪んだ愛情をタルパに注ぐ者が少なからず存在しております。所詮、タルパは非実在性の産物に過ぎませんので、作った本人がタルパに対して何をしようが勝手と言われればそれまでです。しかし、過度な惚気と同様に、公衆のネット空間でタルパに対する虐待等の行為を露骨に発信するのもどうかと思います。現実世界の法律に触れるものではありませんが、そう言った悪しき感情を内面に認めている者が、潜在的に実在している事を世間に向けて暗にアピールしているとも思える点には戦慄を覚えます。現代社会のこれまた歪んだ構図がタルパを通じて表現されているようにすら思えて来ます。惚気と同様に、これも一概に見る事ができない深部があり、本人なりに心の葛藤をしているのかしれません。単純にタルパが暴走状態に陥っているだけとも考えられます。

タルパと生命倫理の問題

タルパは非実在的なものに過ぎず、現実世界に影響を及ぼす事なく内心で完結していれば問題ないようにも思われます。しかし、アイドルなどの有名人はもとより、身近に実在する人物(または故人)をモデルに、瓜二つのタルパを作り上げるとしたらどうでしょうか。現実世界でもクローン技術や遺伝子組み換え操作には賛否が大きく分かれ強い物議を醸す話題となっております。まして、クローン人間の取り扱いに関する倫理面での一致した結論は出ておりません。信心深い方がタルパをやるとすれば、この点はまず留意されると思います。そうでないと言う人は、憧れのアイドルと瓜二つのタルパに作ろうと試みるかもしれません。しかし、今はそれで良くとも、将来の自分の精神状態にどう影響を及ぼすか未知数です。生命倫理に準じた聡明な判断でタルパを作る事をお勧めします。

倫理的に問題が解消されたタルパの作り方

人間やペットとして飼育されていた動物を参考にするのは避けた方が良いように思えます。しかし、野生動物には個性がありませんから、動物型のタルパを作る際、野生動物の映像をそのまま頭の中へ引用して、瓜二つに仕上げても問題ありません。また、人間型のタルパをデザインする際、ゼロベースでイメージして作り上げて行くのは存外と難しいものです。そこで、実在する人物でも複数の人を参考に、その平均像をイメージしてタルパを作るのは許される行為だと思います。やはり、完全に無の状態から何かを創出すると言うのは容易ではありません。こうなると一番無難なのはアニメの二次元キャラクターか、初音ミク等のようなコンピュータ合成されたものになると言えます。趣味の良し悪しは横に置いて、とりあえず、実在しない架空の産物ですから倫理的に問題ありません。

倫理的に検討の余地があるもの

タルパを作る上でモデルとなる対象が実在していなければ問題がないように思えて来ます。しかし、世界各地の神話や伝承で語られる神仏やそれに準ずる存在となるとどうでしょうか。人にもよるでしょうが、信仰心の薄い方でさえも、神をわが物とする大それた行為と畏れをなし流石に躊躇う事でしょう。しかし、タルパには高次元な存在との対話・チャネリングも目的に含まれます。語弊があるかもしれませんが、タルパを純粋な神様として崇めるつもりでやる分には問題ないと思います。その場合、感覚的に作ると言うよりは、自分の目の前に神の姿を再現して拝礼したり対話する等、自身の信仰心の深さと神からの守護を実感する等と言った象徴的な行為に目的が限定されると思います。とは言え、あまり畏まる必要もないでしょう。終生大切にすると誓えば最強の守護神となります。

倫理や道徳の求め方

神仏や伝統文化、物事の価値観に関する議論で、特化と汎化の間で困惑させられる事態に遭遇する時にあります。圧倒的大多数の日本人は後者であり、正月ともなれば神社へ押し寄せ、お盆には寺院へ、クリスマスともなれば本来キリスト教徒に限定されている一連の関連行事を楽しみます。最近ではハロウィンが商業主義的な価値観から日本人の年中行事に組み込まれつつあります。もちろん、それらが悪いとは言いません。しかし、中には先鋭化している者もおり、時に宗教テロと言った形で悲劇が起こる場合もあります。これはタルパに関しても同様と言えます。一部に過激化したタルパーの存在もおります。上述した通り、表面的なものに囚われ問題あるタルパーの深部や背景まで分析する人は少数派です。視点を批判的なものから救済的なものに変える抜本的な改革も必要に思われます。

Александр Wаташновский
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